求職者側の事情
就職したい者は、採用面接の場において、「やる気はあります」「やれます」「できます」と語る方がとても多いです。
当たり前のことだと思います。
誰もが不採用になりたくて面接に臨むようなことは基本的にしないからだと思います。
皆さんの中でも、職業訓練や求職活動を通しての機会や、あるいは就職をサポートする組織の支援者、アドバイザー、コーディネーターの方から、「ちょっとでもやったことがある内容は(ほとんど自信がないことであっても、わずかであっても採用につながる可能性にかけて)職務経歴書や面接でアピールするように」そう言われた経験を持つ方も多いのではないでしょうか。
でも、それは残念ながら「面接の場で必死に取り繕わなくても、本当に純粋に強くアピールできる内容がほぼ無かったから」ではなかったかと思うのです。
もちろん、ごく普通に本当に出来る方もおられます。
今まで経験を積んだ者、
長い職歴を経てプロといえる段階まで到達した方、
とても器用な方、
才知溢れる方など・・・。
採用にたどり着けたら、安心と同時に今からの職場に不安も生まれはしますが、
ただ少なくとも生きていける、生活できる、不安から解放される、そう感じられるのではないでしょうか。
そして、就職できる人もいれば、継続して今も、また今の自分の状況だからこそ、
就職で困っている人、悩んでいる人も当然おられます。
どうして就職できないのか、
採用してくれたら頑張るのにどうしてわかってくれないんだろう、
その答えがわからないまま、活動し続けるか、活動を一度、またずっと止めてしまうか、そういった方もいるでしょう。
就職活動で採用されるために、必要な要素として「準備」があります。
就労移行支援を訪れる人は
私たちの前に訪れる、就職を目指す方について、18年以上この仕事を続けてきて、出会ったほとんどの方が、
実際に出来る技術を「今の時点ではまだ」持っていない、
働くための準備が整っていない、
何かしら不都合を解決できていない、
自信を無くしている、
どれだけのことができるのか表現ができていない、
もしくは「経験がないことで入り口が見つからなくてずっと経験がないままである」ことで、
困って私たちの前に現れている。それが現状だと感じています。
就職で困っていなければ、
仕事で困っていなければ、
生活に不安がなければ、
そもそも就職の支援機関、私たちのような就労移行支援なんて場所、誰も用がないですから。
採用担当者側の事情
求職活動がうまくいっていない方、できれば一度ゆっくりと採用面接でお会いした人事の方の状況に身を置いて考えてみれば、少し就活の見方が変わると思います。
採用担当者の立場からしても、「やります」「出来る」という応募者の一言に根拠を求めたくもなります。
どれぐらいできるか、わかりやすく体現、表現できるようになってから応募してきてほしい、面接の約束の場に臨んでほしいとすら思われている方も多いでしょう。
リスクという言葉があります。一般的に悪いイメージで語られる言葉ですが、正しくはプラスにもマイナスにも大きく振れる可能性を意味しています。
採用応募者はまさにリスクそのもの。応募者は企業にとって可能性の塊でありながら、不確定要素の塊とも言えます。
支援者として感じていることとして、最近は面接の質が変わってきました。
新卒の採用試験ほど和やかではありませんが、以前のような重苦しいプレッシャーの中での面接ではなく、ライトな面接の機会が増えてきていると思います。
配慮が欲しい点がよくわからないから慎重に採用を行うというより、職務遂行能力の可能性を見ることを目的とした面接が増えたのではないかと感じます。
ただ、採用担当者は自らの忙しい時間を使うべき応募者に巡り合ってやり取りしたいと思うのは変わらないと思います。
どのような媒体に求人を展開すればより多くの可能性を持つ求職者に気づいてもらえるか、求人内容、求人の発注手続、応募者とのコンタクト開始とやり取り、日程調整、選考試験と面接における情報収集、採用チーム内での情報共有と会議、採用決裁権を持つ者への情報提供報告や次の段階の日程調整、再度の日程連絡や、採否にかかわる連絡と後処理。採用後の手続きなど一連の流れだけでも相当な不安がかかっているのですから。
応募者と向き合うにしても、採用につながるに越したことはないですが、たとえ採用につながらなくても、後ろ向きの条件や課題をひたすら解決できるかに時間を使う面接ではなく、企業に可能性を持って来てくれて面接に臨んでくれる応募者と、前向きな面接がしたいと願っています。そのために、時間を有意義に使って可能性を話し合えるように、自らのことをしっかりと話せる準備をしてきてほしい。
それに応える準備も求職者側に必要だと思います。
私たちが考える可能性と毎日取り組んでいる方法論は
私たちが理念として、毎日の訓練の根底にあることとして、こういう風に考えています。
「採用さえしてくれて、仕事を教えてくれたら頑張ってできるようになるために努力します」という、雇ってもらえるかも全てが運と自らのコンディション、企業のその時の求人事情次第といった受動的で不確定な結果は目指さない。目指したくない。
期限までに就職できるかどうかわからなくなるから。
目指しているのは、こういうことです。
「今までの自分にはあり得なかった就職の選択肢を持つために」、
「これからスタートする新しい自分のキャリアの始まりとして」、
「採用してもらうために」、
「自分を仕事で使ってもらえるように」、
「せめて自らの可能性を試してもらえる機会をもらえるように」、
「お給料がもらえるように」、
「採用前から準備を行い、それをわかりやすい形にして」、
「全社共通で言うワンパターンの志望動機しか選択の余地がない就職活動ではなくて」、
「面接の場で答えを持っていなくて、なんとか言葉を必死に並べて取り繕うのでもなく」、
「面接でこの仕事を私に(させて)くださいという強い表現を、自信をもって使えるように」、
「きちんと仕事をするために準備をしてまいりましたと自らの努力を面接の場できちんと言えるように」、
「緊張は消えないかもしれないけど、笑顔で採用担当者と向き合って話し合えるように」。
そのために、ソーシャルガーデンでできることは、
就職する前の今から、
「自らの準備が整えば、採用してもらえる人材となるために」、
「資格取得、検定試験合格を通して、企業からわかりやすい人材となること」、
「周囲から評価してもらえる人材となること」、
「必要とされる人物となること」、
「雑用の仕事ばかりだと疑問を持たなくてもいいように」、
「私でなくても誰でもいい仕事ではなんて不安を覚えなくてもいいように」、
「贅沢さえしなければ貯金も当然として可能となる報酬が得られる職業」に進むためのキャリアの一歩とすること。
「自分にきちんと自信を取り戻すこと」。
努力を継続した結果、今までの自らの方法ではなしえなかった
「人生が変わる瞬間」を体験し、
「人並でも人並み以上でも、豊かさと幸せを感じられる人生になること」、
「一人だけの人生ではなくすること」、
「誰かに人生を決め付けられるのではなく、自分のことは自分で決めたい」、
「私という人間がここにいることを社会に知ってもらうために」、
「生きる術と理由を手に入れるために」、
毎日、強く意識しなくても、運営が作ってきた流れに乗ってもらえたら、
気が付くと、自分のいろいろな部分が、社会の形とぶつからないように、
成長してきているはずです。